宮沢賢治詩碑(みやざわ けんじ・しひ)

 宮沢賢治は大正14年、三陸沿岸を旅行した折りに村へ立ち寄り、平井賀港から発動機船羅賀丸に乗船して宮古に向かい、「発動機船」シリーズはそのときに創作されたとされています。平井賀漁港内にある「発動機船一」、島越駅にある「発動機船二」、田野畑駅の「発動機船三」と三部作の碑が完成しました。平井賀漁港内にある「発動機船一」は、東日本大震災による津波のため流出しましたが、その後発見され、同地区にある本家旅館の庭へ移設されました。旧島越駅前にあった「発動機船二」は津波にも耐え抜き、現在は島越ふれあい公園に震災当時の姿のままで保存されています。

宮沢賢治詩碑「発動機船1」

宮沢賢治詩碑-1

場所/岩手県下閉伊郡田野畑村羅賀3(本家旅館内)

宮沢賢治詩碑文「発動機船2」

宮沢賢治詩碑-2-1

(被災直後)

宮沢賢治詩碑-2-2

(現在)

場所/岩手県下閉伊郡田野畑村松前沢4-1(三陸鉄道旧島越駅跡)

宮沢賢治詩碑「発動機船3」

宮沢賢治詩碑-3

場所/岩手県下閉伊郡田野畑村和野38-14(三陸鉄道田野畑駅)

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