白亜紀宮古層群(化石・海底地層)

世界が注目! 白亜紀宮古層群

注目! その理由とは・・・

 宮古層群とは田野畑村から南方の宮古市にかけての太平洋沿岸に点々と分布する前期白亜紀(約1億1千万年前)の地層です。
 有孔虫、海綿、サンゴ、腕足類、二枚貝類、巻貝類、頭足類、ウミユリ、ウニ、甲殻類、魚類、石灰藻、材化石と化石が豊産することで知られ、当時の生物相を知る上で貴重な地層であるとともに、アンモナイトなど示準化石によって年代が明らかにされ、日本のこの時代の標準層序となっています。

*示準化石(しじゅんかせき) = 特定の年代だけに生きていた生き物の化石で、それによって地層の年代がわかる。
*標準層序(ひょうじゅんそうじょ) = 基準として選ばれる一連の地層。

海底の宮古層群

明戸沖の海底にたたずむ岩。縞模様の層理があり、宮古層群の一部と思われる。

注) 現在、周辺海域への潜水については、復旧工事や資源調査を目的とし許可を得た場合のみとなっていますので、現地で海底の地層を確認しに行くことはできません。

白亜紀の時代、ここは大きな大陸の一部だった! ?

当時の日本は現在の大陸の東沿岸域の一部であったことがうかがえ、産出するサンゴなどの示相化石から、気候は温暖で、サンゴ礁をとりかこむ多様な環境下で宮古層群は堆積したと考えられます。(酸素同位体比測定により当時の平均水温は18℃とされる、現在の平均は12℃程度)

*示相化石(しそうかせき) = 限られた環境にだけ生きていた生き物の化石で、それによって地層が堆積した環境がわかる。

宮澤賢治と三陸(田野畑)の旅

発動機船一、二、三(詩集?春と修羅・第二集 より)

 賢治は1925年(大正14年)1月に盛岡から八戸経由で海岸線の旅をし、7日午後には田野畑村羅賀の港から発動機船に乗船して、山田・釜石方面に向かっていったといわれています。「発動機船一、二、三」は賢治が当時の旅程で目にしたもの感じ取ったものを書きつづった詩とされ、その詩を紹介する碑が平井賀海岸・旧島越駅跡・田野畑駅の3ヵ所にあります。

宮澤賢治とイーハトーブ

 宮澤賢治は1896年(明治29年)岩手県花巻市に生まれ、類い稀なる感性と才能によって「銀河鉄道の夜」などの童話や詩を晩年までに数多く生み出すとともに、自らが愛する岩手県を「イーハトーブ(イーハトヴ)」と名付けました。
 少年期から石や昆虫に興味を持ち、北上山地や岩手山を駆け巡っては標本作りや鉱物採集に夢中になり、後には鉱業や農業の普及振興にも携わりました。また、仏教に深く信心し、罪も無く弱い立場の者、冷害や津波などの自然災害に見舞われた人々の姿に常に心を痛めるなど人間性はとても慈悲深く、その想いや自己犠牲の精神は「雨ニモマケズ」「グスコーブドリの伝記」などの作品などから読み取れます。皮肉にも賢治が生まれた年に岩手県沿岸は明治三陸大津波に見舞われました。また、1933年(昭和8年)には昭和三陸大津波の被災地における惨状に心を痛めながら若くしてその生涯を閉じています。

賢治作品に広がる白亜紀の世界

 賢治は地質学者としても有名であり、その研究や観察成果を農業や鉱業など岩手県内の産業の発展に活かしただけではなく、発表した文学作品の中にもその一面が出ています。賢治の作品のひとつ「楢ノ木大学士の野宿」(没後の翌年1934年発表)では、業者からの依頼によってイーハトーブを訪れ、宝石探しをしている主人公の学者が、海辺の海食洞らしき洞穴にて3日目の野宿をした際、夢の中で白亜紀の世界が広がり、ついにはそこに生息するたくさんの雷竜(竜脚類の恐竜)に囲まれ食べられそうになるというストーリーを描きました。
 この物語は、賢治が農学校教諭をしていた1921?22年(大正10?12年)あたりの作とされているので、賢治がこの地を訪れる以前に書かれたものです、その後の三陸を巡る旅の途中で、ここ羅賀(平井賀)に立ち寄った際の賢治は、港脇に露出する白亜紀の地層に直に触れ、また船上からは海岸線に連なる壮大な地層群を眺め、何かを確信していったのではないでしょうか。

出典:モシリュウ復元図(岩手県立博物館)

大学士の野宿洞穴(イメージ)

日本初の恐竜化石発見秘話!

 賢治の時代には、もちろん恐竜の化石など日本列島では未だ発見されておらず、その存在すら否定的な風潮の中でしたが、賢治は岩手県沿岸の白亜紀の地層に恐竜の化石があるのではないかと考えて探していたことがうかがえます。
 彼の没後かなりの年月が過ぎた1978年(昭和53年)、この「楢ノ木大学士の野宿」で正に予言していたかのように、日本初の恐竜化石が田野畑村の南隣にある岩泉町茂師の白亜紀宮古層群から発見され、モシリュウと名付けられました。
 モシリュウは賢治が作品の中で雷竜として登場させた竜脚類であることがわかっています。

白亜紀への時空旅行?「ジオ旅」で地層散策に出かけよう!

ハイペ海岸

 田野畑駅と島越駅の中間に開けるプライベートビーチ風の美しく静かな入江。両側に宮古層群を形成する羅賀層、田野畑層、平井賀層が海側に向けて30度前後で傾きます。黄色っぽい宮古層群に対して、不整合より下には灰色っぽい腰廻層とよばれる深海でできた化石に乏しい地層があります。この不整合は北上山地が陸地となった時の大変動を物語っています。

東日本大震災の大津波で動いた白亜紀宮古層群の欠片「新たな津波石」


津波石の下で

 ハイペ海岸の波打際には、周辺の宮古層群がくずれてできたと見られる大きな岩がありましたが、平成23年3月11日の大津波によって、山側へ約15m程移動しました。間近にみると、津波の強大な力を測り知ることができます。

平井賀漁港

 漁港北側では、宮古層群は海側に向けて30度前後で傾き、宮古層群を形成する羅賀層、田野畑層、平井賀層を見ることができます。
 散策エリアでは、サンゴ、二枚貝など海生動物化石を多く含む化石密集層や当時の津波による堆積物とされる層が、すぐ手の届く範囲で容易に確認できます。

ひらなめ海岸

 羅賀?明戸の中間地点、県道直下に位置し、ホテル羅賀荘や漁港の防波堤から平井賀層、明戸層の露出を正面に見ることができます。岩手県天然記念物となっています。(昭和41年3月指定)

 

宮古層群の主な化石

オルビトリナを含む砂岩

■分類/原生生物 有孔虫類
■産地/田野畑村平井賀

六放サンゴ

■分類/刺胞動物
■産地/田野畑村ハイペ北

プテロトリゴニア

■分類/二枚貝類 三角貝
■産地/田野畑村平井賀

イソクリヌス

■分類/棘皮動物 ウミユリ類
■産地/田野畑村ハイペ

ヒパカンソプリテス

■分類/頭足類アンモナイト類
■産地/田野畑村島越

キマトセラス

■分類/頭足類 オウムガイ類
■産地/田野畑村平井賀

ネオヒボリテス

■分類/頭足類 矢石類
■産地/田野畑村平井賀

ティロストーマ

■分類/巻貝
■産地/田野畑村平井賀

アセスタ

■分類/二枚貝類
■産地/田野畑村島越

化石密集層

■産地/田野畑村ハイペ北

モシリュウ上腕骨

■分類/恐竜 竜脚類
■産地/岩泉町茂師

 

化石写真提供:岩手県立博物館・東京大学総合研究博物館

モシリュウは日本初の歴史的発見!次なる恐竜発見の可能性は!?


モシリュウ復元図
(岩手県立博物館)

 1978年(昭和53年)に田野畑村の南隣に位置する岩泉町茂師で発見された恐竜化石は、全長20m以上もあるマメンキサウルスに近い仲間の恐竜の上腕骨の一部とみられ、その地名をとりモシリュウと名付けられましたが、これは日本国内で発見された初めての恐竜化石であり、以後全国各地で恐竜発見が続くきっかけとなりました。
 モシリュウが発見された地層は宮古層群の田野畑層ですが、当時、河口上流部から流れてきた骨格の一部が他の堆積物とともに浅海に沈み堆積したものと推測されています。 今あなたの目の前の田野畑層を目を凝らして探してみると、もしかしたら!?

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