自然災害(津波・津波石・遺構・大火)

ジオの脅威! 東日本大震災「平成の三陸大津波」

2011.3.11 14:46 M9.0地震発生 15:25大津波襲来

 2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖約130kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本における観測史上最大のM9.0を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの広範囲に及びました。この大地震と大津波による死者は18,877人、行方不明者は2,846人に及ぶなど、東北地方から関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらしました。(死者、行方不明者数は2012年9月5日現在警視庁まとめより)

田野畑村における発災と被害状況

  • 津波到達/第1波 15 時25 分頃(推測)
  • 最大津波溯上高/ 25.5m(漁港海岸の痕跡)
  • 人的および住家等被害/
     (村 民)死者23 人、行方不明者16 人、負傷者6人
     (村民外)死者1人、行方不明者2人、負傷者2人
  • 住家被害/ 281 戸 251 世帯 734 人
  • 非住家被害/ 311 棟
  • 交通被害/三陸鉄道島越駅及び高架ホーム倒壊流失 等
  • 産業被害/
     (水産関係)水産施設 222、船 477、漁具 419、養殖施設 720 等
     (観光関係)ホテル羅賀荘の被災、机浜番屋群流失 等

※上記数値はいずれも2011年12月31日時点におけるもの。


机浜番屋群 津波以前


机浜番屋群 津波後


島越漁港


羅賀集落


平井賀集落

プレート境界型地震が大津波を引き起こすメカニズム


大陸側のプレートの先端が引きずり込まれひずみが増します。


ひずみが限界に達すると破裂し、はね返ります。


津波は浅い所や入り江で急に大きくなります。

自然の猛威語り継ぐ記録

田野畑を始め三陸沿岸は、有史以来幾度となく大きな地震津波や森林火災等の災害に見舞われてきました。それらは辛く悲しい出来事ですが、貴重な体験談や記録を後世への「財産」とし正確に伝え残すことによって、尊い人命と財産を守ることが求められます。

明治三陸大津波

1896年(明治29年)6月15日午後7時32分に発生した三陸沖約150kmを震源とするマグニチュード8.5の巨大地震とその津波による災害。北海道から宮城県にかけ津波史上最悪の被害(死者行方不明者21,959人、流失家屋9,878戸)となりました。当時打ち上げられたとされる大きな津波石が羅賀にあり、田野畑村の死者は128人、流失家屋32戸と記録されています。

昭和三陸大津波

1933年(昭和8年)3月3日午前2時30分、岩手県沖約250kmの海底を震源とするM8.1の巨大地震が発生、30分程で北海道、三陸沿岸に襲来した大津波は各地で大きな被害を出し、死者行方不明者は3 , 0 6 4人、流失家屋4,885戸、田野畑村の死者は83人、流失家屋131戸と記録されています。

三陸フェーン大火

1961年(昭和36年)5月29日午後、旧下閉伊郡新里村の山林にある炭窯から発生。当時は台風崩れの低気圧通過でフェーン現象により風速20?30mの強風が吹き、最高気温は29.6度まで上昇していたことから火は田野畑村をはじめ近隣の7町村にわたって拡大し、その被害は40,366haの林野、1,062棟の建物焼失、死者5人、負傷者97人を出しました。一帯は断崖沿いの山地で燃えやすい松などの木が多かったため消火は困難を極めましたが、地元消防団などの懸命の作業により2日後に鎮火しました。北山崎周辺のシロバナシャクナゲなど貴重な生態系も大きな被害を受けました。

「羅賀の津波石」を運んだ大きな水の力!

明治の三陸大津波で打ち上げられたとされる「津波石」が羅賀地区標高28mの地点に残っています。推定重量は約20トン。中には小さな米粒のような「オルビトリナ」と呼ばれる約1億1千万年前の浅海に生息していた有孔虫の化石が含まれています。このオルビトリナを豊富に含む元の地層は羅賀の港とひらなめ海岸の間に露出していることから、その場所からこの岩塊は400m西側に津波によって移動してきたことが分かりました。

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